生まれつき目の見えない男
- East Asia Delegation
- 2025年9月21日
- 読了時間: 7分
唾が温かく湿った衝撃を伴って彼のまぶたに飛び散った。彼は身をすくめた。罵声や投げつけられる石の前触れとなることがあまりにも多かったその仕草に、生涯培われた本能が反発したのだ。そして、道中の埃で荒れた指が、その湿り気をざらざらとしたペースト状に練り上げ、彼の魂への扉である閉ざされた窓に泥を塗りたくり始めた。

なぜ? その問いが、彼の心の闇の中で音なく叫んでいた。なぜこんなことを? 彼はただ一言言葉を発すればいいのに。遠くから百人隊長の僕を癒したと聞く。なぜこんなふうにしなければならないのか? また別の誰かが私に唾を吐きかける。これが神の力なのか、それともただの別の屈辱なのか?
彼の螺旋状に落ち込む疑問を断ち切る声があった。優しいものではなく、骨の髄まで響く権威を帯びていた。「行け、シロアムの池で洗いなさい」。
その命令には議論の余地がなかった。習慣が彼を動かした。彼は立ち上がり、手は本能的に見慣れた壁、使い込まれた道を探り当てた。群衆の嘲りはいつものBGMだった。「預言者の泥を洗い流しに行くのか、盲人?」笑い声がついてきた。疑念が胃の中で酸っぱく渦巻いた。これは馬鹿げた使い走りだ。彼はまたしても見世物になっている。
彼は池の縁に跪いた。冷たい石が手のひらに馴染んだ。半分は諦め、半分は最後の、束の間の希望を込めたため息をつき、冷たい水を両手ですくった。最後の一秒、ためらいがよぎる。心は恥と憧れの戦場だった。それから彼は両手を顔に叩きつけ、ざらついた粘土をこすり落とした。ただ、その奇妙で汚れた秘跡から清められたいと願って。
泥は緩み、洗い流された。そしてそれとともに――光が。
それは徐々に広がる夜明けではなかった。爆発だった。色と形と、恐ろしくも美しい深さの宇宙が、生まれてこのかた慣れ親しんだ心地よい予測可能な闇を粉々に打ち砕いた。彼は息を呑んだ。水と涙が頬を伝った。彼は自分の手を見た。水でしわくちゃになった自分の手――自分の手だ! 毎日通り過ぎていった人々の、呆気に取られて口を開けた顔が見えた。空が見えた。あまりにも広大な青に目がくらんだ。
新たな、圧倒的な衝動に駆られて、彼はもう一度池の上に身を乗り出した。洗うためではなく、見るために。波紋が静まった。一人の顔が覗いていた。男だ。自分の頬に触れると、鏡像も同じことをした。これが私だ。 これが人々が哀れみ、嘲り、「盲人の顔」と呼んだ顔だった。水と涙で濡れていたが、それは……美しかった。確かに人間の顔だが、その瞬間、それ以上のものに感じられた。神聖に感じられた。これが、神が粘土からアダムを形作り、命を吹き込んだときに見たものだ。これは良かった。自分の呪いだと思っていたその顔は、創造の最初の光の中では、傑作だった。
彼はよろめきながら家に帰り、悲しみではなく、単なる視覚と自己発見の圧倒的な衝撃で泣いた。彼の世界は一瞬で解体され、再構築された。
喜びは長く続かなかった。パリサイ人たちがやって来た。彼らの問いは驚嘆ではなく告発であり、獲物を求める罠だった。彼らは彼を、しかめ面と冷たく理詰めの怒りの評議会の前に引きずり出した。
「この者は安息日を守らないから、神から来た者ではない」と一人が指を空中で突きながら宣言した。
別の者が嘲った。「お前はまったく罪の中に生まれているのに、我々を教えようとするのか?」
今や見えるようになったその男は彼らを見つめた。これまでただ裁く声としてしか聞いたことのない律法の柱たちを。彼は彼らの口元の緊張と、確信を装った目の奥の恐怖を見た。彼の証しは単純で、揺るぎなかった。「私が知っていることは一つだけです。盲目であった私は、今は見えるということです」。
彼らは彼を問い詰め、言葉をねじ曲げ、両親を呼び出して彼の経験を否認させようとした。母親の顔――彼女が恐れた目で自分の視線をそらすのを見たとき――それは子供の頃のどんな嘲りよりも鋭い痛みだった。しかし攻撃を受けるたびに、彼の視界はさらに澄んでいくようだった。彼はもはや癒しについて議論しているのではなかった。彼らが見ようとしない真実を証ししていたのだ。反抗の火花が、明るく新しいものが、彼の内に点火した。
「私はもうあなたがたに話しました。聞こうとはしなかった。なぜまた聞こうとするのですか? あなたがたも彼の弟子になりたいのですか?」
部屋は騒然となった。彼らは彼を罵った。「お前こそ彼の弟子だ。我々はモーセの弟子だ!」
そしてその時、言葉が彼に与えられた。学びからではなく、新しい視覚のまさにその brilliant な論理から。「驚くべきことです! あなたがたは彼がどこから来たのか知らないのに、彼が私の目を開けてくださったのです。もしこの人が神から来た者でなければ、何もできなかったでしょう」。
続いた平手打ちは、新しい人生における最初の肉体的な痛みだった。血の味は金属的で現実的だった。「お前はまったく罪の中に生まれているのに、我々を教えようとするのか?」という言葉が、彼を会堂から通りへ押し出すときに囁かれた。重い扉がドタンと閉まり、破門が宣告された。彼は自分が知っている唯一の共同体から追い出され、今や本当に、見える世界の中で一人ぼっちになった。
彼は縁石に座り込み、通りの塵が新しいチュニックに積もった。視覚の多幸感は消え、代わりに虚ろな痛みが残った。彼は生涯受け入れてきた盲目を、一瞬の奇跡的な視覚と未来の追放と引き換えにした。それだけの価値はあったのか? 葉の鮮やかな緑が見える。しかし指導者たちの顔に憎しみも見える。この新しい視覚の代償は恐ろしく高かった。
その時、影が彼の上に落ちた。彼は身をすくめた。別の一撃を予期して。
「追い出された者よ」声がした。それはあの池での声だった。すべてを始めたあの声。「あなたは人の子を信じるか?」
男は顔を上げた。苛立ちと恐怖の涙をまばたきしながら。その姿は太陽を背にシルエットになっていた。「主よ、誰がその方ですか? 私が信じることができるように」。
「あなたは彼を見た」イエスが言った。その瞬間、男の目は二度目に開かれた。光と色ではなく、アイデンティティ、目的、愛へと。彼の前の顔はもはやただの癒し手の顔ではなく、メシアの顔だった。彼を罪人、物乞い、神学的な事例研究としてではなく、回復する価値のある人間として見た方。
「主よ、信じます」彼は言った。その言葉は、池でのどんな洗いよりも深い委ねだった。彼は跪いた。盲目のままでなく、礼拝において。虚ろ感は、恐れを小さくするほど激しい喜びで満たされた。彼らは彼を石の建物から追い出したが、それは結果的に彼を神の国へと押し出したのだ。彼は敵意に満ちた部屋で論理をもって証しした。今は光の作者を全身全霊で礼拝している。代償は高すぎなかった。それは入場料だった。
何年も後、彼は低い街の常連となっていた。もはや物乞いではなく、奉仕していた。その目は鋭く、優しかった。自分自身の初めての迫害を味わったばかりで震えている若い信者たちが、彼を尋ねてきた。
「それだけの価値はありましたか?」彼らは不安でこわばった声で尋ねた。「自分の家族から疎まれ、居場所を失うことは?」
男は微笑んだ。笑い皺が、闇の深さと神の顔の両方を見たその目の隅から広がった。
「彼らは私の会堂での場所を取り上げた」彼は静かだが確かな声で言った。「そしてそうすることで、彼らはどのラビも教えられない教訓を私に与えた。石の牢獄は、たとえ一生そこに住んでいたとしても、依然として牢獄だということ。彼はただ私に視覚を与えたのではない。証しを与えたのだ。あの日、彼らは私に過去について、罪についての話を求めた。しかし彼はすでに私に未来についての話を与えていた」。
彼は周囲の賑やかな共同体を指さした――ユダヤ人とギリシア人、奴隷と自由人、すべてが共に働いている。「彼らは私を罪人と呼んで追い出した。彼は私を証人と呼んで迎え入れた。私は学んだ。見るとは、単に光を知覚することではなく、たとえそれがすべてを犠牲にすることになっても、真理を認識することだと。剣を振るう英雄もいる。私たちのものは? 私たちは単純で頑固な証しを振るう。『私は盲目だった、今は見える』と。そしてその真理は、どんな闇も、会堂も、恐れの評議会も、決して消すことのできない光なのだ」。
彼は「視力を得た男」とは呼ばれなかった。信者たちの間で彼は「証人」として知られていた。自らの話を撤回するように迫られたとき、むしろエルサレムそのものの基盤を揺るがす勇気をもって最初の説教をした男。彼はメシアから目を受け取り、その声をメシアに返した。その交換が彼の残りの日々を定義づけた。
Fr. ジジョ・カンダムカルイル CMF
『オ・クラリン』マカオ・カトリック新聞掲載




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